【§2. 心と体のバランスのとれた人材育成】
2013年4月19日
2013年4月19日
大澤:一時期、学校の意向でスポーツに力を入れなくなった大学も多くありました。運動部を強化しても質の高い学生は集まらない。そうした考えもあったようです。ただ、そうした学校でも、今では、スポーツに秀でた学生を受け入れるようになっています。学力も優秀で、スポーツの名門校と呼ばれるところが声をかければ、行きたい生徒さんは多いでしょう。昌邦だって僕が声掛けたけど、そうしたところが声を掛けていたら、うちのOBじゃなかったかもしれないからね。
山本:僕は高校一年生の時から、声を掛けていただいていますからね。
大澤:ボンドでくっつけといたようなもんだから。
山本:高校の先生が大澤先生の後輩だったということもあって、普通は見てもらえないんですが、夏休みの高校の練習がオフになった一週間、大学で練習を見てもらえる機会があったんです。やっと休めるな、っていう時だったんですけど。16歳で22歳の輪の中に入って練習を体験したんですが、全然違うわけですよ。でも、そうした中でやったことで、成長していったんですけどね。で、高校二年生の時には国士舘に来い、ということになっていて(笑)
大澤:そうなんだよ。マスコミにはたたかれたけどね。昌邦もそうだけど、高校で日本代表に入ったような選手もスカウトしたんだけどね。それを、僕が札束もって選手の顔をひっぱたいていると、スポーツ新聞に取り上げられて。当時、大学の経理から呼ばれて、そんなことをしてるのかって。大学からもらっている給料じゃそんなことできませんよ、で終わったけどね。
山本:僕が大学三年の時に、日本一になって、その後からですね、国士舘が強くなったのは。ミシェル(宮澤)とか、柱谷兄弟とか、その時代の方が強かったですね。関東一部リーグで下部リーグに落ちていない、一番長いチームはどこですか?筑波ですか?
大澤:うん、筑波かもしれないね?中央も古いんだよ。
山本:あぁ、中央も落ちてないんですか。なんとか踏ん張っている。
大澤:国士舘は上がって、すぐ1回落ちている。戦力がなかったから。
山本:それ2回ですよね。一回上がって落ちて、上がって落ちて、上がって。
大澤:一回上がって落ちて、3年間足踏みして。3年間ずっと慶応と入れ替え戦やって、3回目に勝った。
山本:その次の年に僕が入ったんですよ。それからずっと今まで、一回も落ちてないんですよ。だから三十何年。サッカーの場合、そうやって入れ替えがあるんで、名門と言われた早稲田が東都リーグまで落ちたりとか、そういうのが普通にあるんで。優勝回数も、国士舘は3番ですからね。そういうサッカーの伝統は。
大澤:そうだね。ただ、今、ちょっとサッカーは衰えてる。今から30年以上も前だけど、山本昌邦が入ってきたころから、頑張れるチームになってきたね。この人は、練習の時に、途中でサボってやめる選手が多い中で、絶対に練習量を減らすことはない。逆にそれ以上にやるタイプだったね。だから、二人一組でやる練習の時に、昌邦のところに行く選手がいないんだよ。組んでもらえず、一人でボーッとしてることが1年生の頃からあったけど、進級するに連れて、つらいのが分かるから、後輩も誰も行かないんだよね。その後も色んなところでOB達と話をするんだけど、昌邦と組んだら、本当に最悪だ、って。
山本:(笑)
大澤:柔道や剣道のかかり稽古のようなもんだよね。
山本:大学時代、夏の合宿の時などに学校の関係で先生が練習をコーチに任せることもあったんですけど、先生が来ると空気が一変する。大澤先生が笛持った瞬間に、みんなが1cmもサボれないぞこれって、雰囲気になるんですよ。僕はうれしかったんですけど、みんなが必死になるから。最後の最後、ちょっとの差が勝敗を分ける世界だから、そうした雰囲気を出せるというのが、良い指導者だと思うんですね。そういう姿勢を教えてもらいました。それに、試合に勝つと勝った後のロッカールームで、怒られるんです。まだ、できるはずだって。でも、試合に負けたときは、逆にここが良かったぞって褒めてもらえる。自信をなくすなよってことなんですけど。指導者になって初めて、それが配慮だったって分かるんですけど、選手の頃はそんなことが分からないから。
大澤:負けたときは、選手も指導者も、同じ気持ちなんだから。そんなときに何を言っても、無駄だよ。でも、勝った時はみんな喜んでるんだから、今だったら多少強く言ったからって、根底にうれしさがあるから、それを受け入れる力があるんだよ。
山本:そういうのが印象に残っているんですよね、勝って兜の緒を締めるとか。インタビューなどを受けたときに、どなたが印象に残っているかって聞かれると、今の話をしているんですよ。勝ったときに怒られる。負けたときに褒められるというか、良いところを言ってもらうということですね。それは今の指導者人生の中でも、生きているという話なんですけど。
大澤:「チームは育てる」というのにおそらく教育者としては誰しも異論がないと思う。チームであれ、個人であれ、育てるということではね。でも正しい考え方からすると間違っているとは思うんだけど、僕は育てるんじゃなくて、「チームを作る」ということに自分なりの理屈をつけたんだよね。もちろん育てるんだけど、潜在的に力がある子どもが揃わない限り、回数をこなしたところでなかなか飲み込めない、体得できない。だったら、サッカーという競技であり、チームスポーツなりに適している潜在的な力があるかどうか、見極めていかないと分からない。それだって、かなりしっかり見ているつもりでも、成功率は6割。スカウトしたみんなが思い通りというようには、なかなかいかない。到達目標の欲求度が強くないと駄目。でも、三日坊主という言葉もあるでしょう、続かないんだよね。だから、僕は到達目標の欲求度は低いけど、潜在能力の高いところに宝があるんだと思っていた。
山本:サッカーの日本代表選手も数々育てていただいていますが、一流になっていった選手の特徴ってあるんですか?他のスポーツでも。
大澤:絶対ある。
山本:たとえば、高校生を見ているときに、技量は見えますけど、その選手が良くなりそうなのかどうかは分かりませんよね。特別な基準で見るんですか?
大澤:何も知らないんだよ。大会を見ても。潜在的な能力なんか、その前を見ないと分からないんだよ。僕はうちの恩師たち、みんなに笑われたけど、お尻しか見ない。腰から下しか見ない。
山本:なるほど。
大澤:子どもなりに、しっかり形が座っていたら、これは今は駄目だけど、鍛えていったら必ずものになる。うさぎ跳びや縄跳びができなくても良い。でも、下半身、腰が座っていたら絶対だ、という僕なりの見方があって、これは狂ってないんだよ。
山本:そういう選手が良い選手になるっていう一つの基準があるんですね。
大澤:それは、他の人も、何か持っているかも知れないよね。ぱっと顔を見たら、この目は良いな。それもあるかもしれない。でも、僕は高校の一年間を見てる訳じゃないでしょう。僕は自分が気に入った選手だけを集めてきた。昔からずっと、いわゆるセレクションなんかやったことがないんだよ。どこの大学でも、何十人も集めて、2日間なりゲームをやる。
山本:国士舘はセレクションやってないですよね。
大澤:僕はそういうことをやりたくなかったの。僕がチームを作るんだから、僕が良いと思う選手に来てもらいたい。だから、高校に行くと、別の選手を薦めてくることもよくあったよ。3年間見ている高校の先生とは違うからね。でも、やっぱり僕がチームを作るんだから。そういうのが指導者のおもしろいところなんじゃないかね。目標を立てたら、何がなんでもやり抜くぞって。ここにいる14,000人、みんなが目標を立てるんだけど、思ったことをそこまで突破するかどうか。欲求度が高いか低いかで決まっちゃうよね。
山本:たくさん一流の選手、サッカーに限らず、見ていらっしゃいましたからね。
大澤:あるレベルから上に来る選手って言うのは、全競技について言えることだと思うけど、そういう目標の達成欲求が強いんだと思う。だからあそこまで行くと思う。上手い選手なんていうのは、五万といるんだよ、何の競技だって。でも、そこで終わりでしょう。そこを突き抜けて、日本一になる、世界一になるというのは、それはやっぱり。
山本:上手いだけじゃ無理。
大澤:上手いだけじゃ無理。努力だけじゃ無理。努力して上手くてみんなが上に行くんだったら、駄目になる人いないじゃない。だから、スカウトの時に一番苦手なのは、下手なんだけど、真面目だっていう選手。こういう高校の監督、先生の薦めをどうやって断るのか、っていうのが僕は辛かったね。逆に、上手いんだけども、やればできるんだけど、なんて言ったて、怠けるよ。これは大好きだったね。賭けだもん、勝つか負けるかでしょう。負けたら、僕が引っ張り方を間違えたんだな、って諦めがつくよ。これが人を変えたらものになる。昌邦はね、とにかく僕は文句をつけるところがなかった。後、宮澤ミシェルね。柱谷兄弟は、いっぱい文句つけるところがあったけどね。それぞれが、みんな上まで行ってるんだけどね。そうしたときに、駄目なやつなんだけれども、能力がある、こういう選手とだったら、何とかなるんだよね。心中できるって。上手いこと、こっちを向いてくれたら、それなりにやってくれる。
山本:なんか見えてきますね。一流選手の条件みたいなものが。
大澤:ただ、こうした話は、指導書に書いて、誰しもがそれをやったら良いというものではない。僕はそんなものじゃないと思うね。接している人間同士の信頼感というのがあってこその話だから。
山本:心をどう掴むことができるか。そっちが重要なんでしょうね。やり方が成功するかどうかは、その都度違ってきます。だからこそ、子どもたちのニーズや欲求をどう掴めるのかが大切になってくる。つまり、コミュニケーションとか観察力とかがあって初めて、効果を発揮するものかも知れません。大事なのを見抜く力であって、手法ではないですよね。でも、多くの人は手法を勉強したがって、こうしたらうまくいくんだというところに目が行ってしまいがちです。実は一番大切なのは、本質をキャッチできているかなんですよね。ヒントは書けるかも知れないけど、そこは本には書けないものなんですよ。それは現場でやってきた人にしか味わえないものだと思います。
大澤:現役時代、色んな人に「どうやったら良い選手がとれるのか」「どうしたらこういうチームが作れるのか」ということを聞かれたけどね。でも、言葉では伝えられないよね。対象となる集団、能力、学力によっても違ってくるから。たまたま、僕と出会った個人とグループがマッチしていたというだけで。一概にマニュアルに書いて、この通りやるとチームが強くなりますよとは言えないよ。
山本:最後は、先ほど先生が仰っていた、やり抜く意欲とか情熱とか、指導者本人の力も大事だし、淡々と教科書に書いてあるような内容をお経のように述べたところで、相手が感じてなければ、一方的にスピーカーで流しているだけの話になっちゃうんだけど。そこに伝わるくらいの説得力がある、そういうもののような気がするんですよね。選手を本気でその気にさせたかどうか。説明している程度じゃなくて、説得して必死にやらなきゃまずいと選手に思わせているというところが、指導者の手腕だと思うんですよ。そういうところは、経験を積まないと難しいことで、経験した人の話を聞いていると、すごく感じるところはあります。
大澤:今流に言うと、ストレスに対する抵抗力があるかどうかだよ。ストレスなんて、このご時世、山ほどあるよね。その抵抗力があるか、ないかなんだよね。昌邦は兄弟何人だったっけ?
山本:僕は3人です。
大澤:僕は5人。昔は、たくさんの兄弟に囲まれて育っているのが当たり前だった。中には8人兄弟なんていうのもいたからね。終戦直後で、食べる物もない中で、一人ひとりにかけられる愛情はどうしても少なかった。でも、今、少子化の時代になって、3人、4人兄弟がいる家なんて珍しくなってきている。1人や2人の子どもにかける愛情が多くなってきた結果、過保護になっている訳だよ。だから、壁にぶつかった時に、試行錯誤して自分で抜け出そうとする力を持っている若者は非常に少ないよ。試行錯誤したときに、それを掴むことができるか、それとも諦めるのか。それが問題だよね。だから、さっき話をしたメイプルセンチュリーホールを、僕は敢えて、一部の専門クラブ強化のために使おうなんて、これっぽっちも思っていない。
大澤:それは、今言った現代の若者、国士舘大学がお預かりした大事な学生を頭でっかちにはしたくない。大学に入るときに選ぶ学部は、それが好きだから来るんだよね。学問だけを注入するだけで、僕は終わりにしたくないんだよ。
山本:あそこには近隣の一般の方も来られるわけですよね。そういうコミュニケーション能力であったり、刺激であったり。学校の勉強からだけでは得られない、社会とのつながりの部分を感じてもらうということも意図されていたんですか?
大澤:そういった部分もあるよね。今は、学生時代から会社に行って、実社会の予習、実習というインターンシップを頻繁にやるでしょう。そこで社会人と話をすることもいっぱいあるだろうし。だけど、その一つ前に心身ともに強くないといけないよね。頭でっかちで、青白かったらいけないんだよ。人生なんて、この年代ぶつかることいっぱいあるじゃないか、我々はそういうのを、すり抜けてきたんだよ、誤魔化しながら。今、その術すら知らない若者がいっぱいいる。だったら、あそこで一人遊びで良いから、身体を鍛えて、汗をかいて、地域の人や学友とのコミュニケーションをとっていって、何かあったら自分で仲間に相談する。自分以外の人と関わる力をそうしたところで養って欲しいと思っている。
山本:年齢層もそうですけど、学部が違う人とも一緒に出来るかもしれないし。だから人脈みたいなものは広がっていきますよね。
大澤:それ、そうだよ。
山本:刺激も深くなりますよね。
大澤:お年寄りも来るだろうし。この箱の中で、自分の専門分野だけやっているだけじゃ駄目なんだよ。観念学習。ちょっと古いかもしれないけど、小田原っていうと何を思い浮かべる?
山本:提灯ですか?
大澤:僕の時代とちょっと違うかもしれないけど。
山本:かまぼこ。
大澤:かまぼこなんだよ。小田原だったら、かまぼこ。静岡だったら、みかんなんだよ、お茶なんだよ。そういう覚え方というのは、僕はやっぱり駄目なんだな。もうちょっと、何で小田原のかまぼこが有名なんだろう。ここにはあの海岸から、あの海から、こういう魚を取って、新鮮でしかも白身の魚がたくさんあって。それを砕いて、かまぼこにするから、小田原のかまぼこはおいしいんだよ、と。そうした実践的な学問の探求というのかな?それは、頭だけじゃ駄目なんだよ。やっぱり体が必要なんだよ。だから、空いている時間にゲームセンターに行くとかじゃなくて、ここで泳いで、汗をかく時間を作って、心身を強化していこうよと。それをやると、国士舘の14,000人の家族の中で、若くして自殺する子どもはいなくなるんじゃないかと思っている。若い人間が、平気で自殺をしたりするのを見ると、ちょっと下を向きすぎていると思うんだよ。
山本:汗をかけば、体中の血液の流れや、脳への刺激があるというのは、科学的に証明されていますしね。運動した後の爽快感、汗をかいて血液が循環することで、脳に良いホルモンが出る。だから意欲的になれる。iPS細胞の山中教授も毎日走っているんですよね。集中して勉強することと、走ること、運動することで体の血液を回す。それにより良いホルモンを出すというのは、人間が生きてきた中で、普通のサイクルのはずなんですよね。食べるために畑を耕してやってきたことが運動に変わっただけで。それってすごく大事な視点だと思うんですよね。勉強だけやっていても行き詰まるし、たぶん長生きできないです。強い心臓や肺を持っていないといけないわけで。意欲的な、ポジティブな脳への刺激があることは認められていることなので、まさに大澤先生が仰る通りだと思います。それに街全体がそうなっていったら、世田谷区って元気があるよな、っていう一つの後押しにもなるんじゃないですか?世田谷区役所に来た人が、国士舘で体を動かし良いホルモンを出して、おいしくものが食べられて。それで、自分が好きなこと、勉強なり、仕事なりをやっていく。情報発信としては、すごくおもしろい、楽しみな感じがしますよね。
大澤:学内には、地域の人や一般の学生のために、こんな工事費をかけて、体育館を作るなんておかしいという声もあったみたいなんだよね。今の理事長は体育学部で、サッカーの指導者だから、そういう発想しかないんだろうって。
山本:iPS細胞の山中教授の話をしましたけど、まさしく文武両道というか、体を動かすことでそういうふうになっているということを、一般の人も理解すべきだと思うんですよね。勉強だけしていた人では、説得力がないこともあるんですよね。体に良いということも証明されていますし、だから山中先生はああいう研究ができると思うんですよ。そういうことを組織としてやろうとしている国士舘大学のチャレンジというのは、魅力あることだと思います。そういうのを上手く発信して、国士舘大学の魅力に繋がってくれるようになると良いですね。14,000人がそうなったら、元気になりますよね。
大澤:若い人たちが、理解してくれるようにね、私たちは有能なセールスマンじゃなきゃならないんだよ。と同時に、受け入れたら、有能なカウンセラー的な資質を持たなければ駄目だというふうに僕は思っているから。今言ったようなことを、まずは、アピールしていかないといけない。多くの志願者を集めないといけない。そこから、ここに最もあった者を選ばせてもらう。で、来た者に対して4年間、全く問題なく出て行く人もあるかもしれない。でも、少子化の育てられ方からすると、壁にぶち当たって、どうしようと下向きになることは圧倒的に多い。だったら、やっぱり仲間を作る。それから、自分の体を鍛えていこう。そうしたことが全部、一つの輪になる。今日は時間があるけど、お金がない。退屈だな。そうしたときに、「そうだ、学校に遊びに行こう」と思えるような雰囲気の学園にしたいんだよ。で、その気持ちの拠り所となるのが、こうした施設なんだと。
山本:良いですよね。運動して汗を流して、食堂があるからお茶も飲めて、読書もして帰れるとなったら。これからの時代、如何に心豊かに過ごせるか、生きていけるかが大切なので、楽しみですね。
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