週刊 SPA! 5月27日号

エッジな人々 インタビュー

ルシエ前監督の退任とともに籍を置くジュビロ磐田に戻るつもりでいた彼に、川渕キャプテンは、「もう少し代表チームの指揮を」と直々に声をかけたという。華やかさはない。一見すると温厚なサラリーマンのようだが、彼ほど代表チーム・マネジメントのノウハウを知る者もいない。ユースからA代表までのコーチを歴任し、絶えず世界との距離を測り続けてきた彼だからこそわかるサッカー界の課題とは?

-トルシエ監督のもとでコーチを務めて、学んだ事はありますか。

数限りなくあります。たとえば、代表とクラブでは、チーム作りの方法がかなり違います。ひとりの選手を365日管理できるクラブは、選手を育て、チームのコンセプトをゆっくりと植えつけることができますが、限られた時間しかない代表チームは、まずコンセプトを明確にしたうえで、個々に短時間で戦術を植えつけなければならない。トルシエ監督は、たった3日間の合宿にも選手を呼びましたよね。強化合宿からクラブに戻ると、代表のコンセプトや与えられた役割を忘れてしまいがちだからです。それを何度も復習させてからクラブに戻す。そうした作業を彼はうまくやってきました。

– メキシコ五輪以降、FIFAのオフィシャル大会で、初めて実力で出場権を得た世界大会が’95年のワールドユースでした。2大会連続出場を決めた’97年には、山本さん自ら監督としてチームを率いています。この2つの世代の違いは何でしょう。

「お前たちが新しい歴史を作れ」と言って送り出し、初めて世界の扉を開いたのが’95年組でした。だけどあの世代は、アジア予選の決勝でシリアに敗れてるんですね。「ワールドユース出場」を最大の目標に置いていたためか、出場権を得た段階で燃え尽きてしまったんです。ところが結成当初から「世界基準」の話を説き続けた’97年組には、「世界に出て行くのは当たり前」という空気がありました。ワールドユースは’95年組と同じベスト8という結果に終わりましたが、参加国が増えたぶん、さらに厳しい戦いを強いられてます。そういう怖さを体感できたことが、W杯で活躍できた彼らの大きな経験となっています。

– トルシエ監督のもとで準優勝したのが’99年のワールドユース組。あの世代は、アジア予選のころから「目標は優勝」だと言ってましたね。

その意識の差が歴史なんですよ。「こいつら、本大会へ行ってもベスト8じゃ満足しないだろうな」と、僕も思ってたぐらいです。彼らはU-17の世界大会で、初めてアジア予選を突破した世代でした。これを経験している上の世代の選手と、そうでない今の五輪代表選手の一部とでは、プレーの目標が少し違うところにある気がしますね。同じプレーでも、片方は満足して、もう片方はまだまだ満足してない。上には上がいることを知ってる選手は、やっぱり逞しい。それに、日本とは違う環境下で行われる大会は、日程の厳しさ、時差ボケ、食事の違いなど、試合以外の条件との戦いにも勝たないと、本来の力を発揮できないことも知っています。

– 本大会のグループ予選で散った’01年のワールドユース組(現アテネ五輪代表)は、「谷間の世代」と言われています。マスコミが勝手に作り上げた言葉なんじゃないかという気もしますが。

その通りです。個々のポテンシャルは非常に高いですからね。ただ現在のジーコ代表の選手と比べると、経験値が足りないのは事実です。世界大会という過酷な環境では、単純に「いいサッカー」をしても勝てるものじゃありません。たとえば1点でもリードしたら、あえてペースダウンさせた試合運びを平気でやってくるのが世界大会。こうした駆け引きにも対応しなきゃいけない。それにもし日本が五輪の本大会で準決勝を勝ち抜くと、決勝までに3日間のオフがあります。この間に選手たちにかかる重圧は、相当厳しいはず。それでも前を向き、歯を食いしばって戦わなければ勝てない。こうした経験をした選手は、大きな自身を手に入れることができるんです。

– 「ユース世代から40%~50%の選手を五輪代表に引き上げる」ともおっしゃってます。五輪世代に刺激を与えるという狙いがあるのですか。

チーム内での競争だけでは、そこで満足した選手が気を抜いた隙に、あとから来たグループに一気に抜かれてしまいます。それではかわいそうだから、「下の世代が絶対に入ってくるぞ」と言ってるわけです。「ライバルはチーム内ではなく、世界基準だ」と言いたいんです。実際アトランタでもシドニーでも、五輪世代とユース世代の比率は結果的に6対4とか5対5になってました。アテネのエントリー枠は18人です。もしオーバーエイジが入ったら15人ですよ。「それでもピッチに立てる実力をつけろ」ということです。彼らは今が一番伸びる時期なので、競争を加速させようと思ってます。

– その結果、戦うチームに変わってきている印象があります。

日本はこれまで急角度で成長してきたけど、世界だって成長してるんです。日本は、世界以上のスピードでの成長が急務です。どんなにいい才能を持っていても、海外で表現できなければ、代表選手としての能力が欠けているということになる。そのためには、高い意識を持って競争することが必要だし、技術や戦術、体力を支えるベースとなるメンタリティがきちんとしていないといけない。私がサッカーと言う競技に対して思うのは、最後は結局人間として強いという「人間力」が問われるスポーツだということです。これは、学校や家庭の教育、日本社会全体の問題でもあると思うんですが、言われたレールの上を走っていれば、そこそこ学力も身について社会に出ても恥ずかしくはないでしょう。でもサッカーの世界ではそれじゃ足りない。自分で判断して、どう決断して、どう動くか。それも、時間のないなかでの瞬間の判断が問われていく。その総合的な力が「人間力」です。

– 先に行われたミャンマー戦のテーマは何だったんでしょう。

サッカーは守備と攻撃が表裏一体のスポーツです。ゴールを奪うために、どうやってボールを奪うのか、それをテーマにチーム作りをしてるつもりです。守備はボールを奪うこと、攻撃はゴールを奪うこと。ミャンマー戦は、引いた相手をどう前へ釣り出してスペースを作り出すか。相手が前に出てこないなら、個人の打開力でどこまで突破できるのか、などが課題でした。今の状況でアテネの表彰台を考えたときに、満足できるポジションはひとつもないですよ。W杯のデータを振り返ると、ゴール全体の75%が、相手のボールを奪ってから15秒以内に決まってます。そこで動き出しが遅かったがために一度チャンスを失うと、得点率は一気に25%まで落ちてしまう。もちろん、残り25%のなかでも点を奪うための工夫は必要です。いずれにしろ、どのポジションでも大事なのは予測力。予測力を育てないと、世界では話になりません。

– 世界のトップレベルのゴールは、その40%がサイドからの崩しで決まるというデータもあります。

サイドを起点にしたゴールは一時期減る傾向にあったんですが、最近は再び復活してますね。ゴール前はスペースも時間もないそんななかでもボールを通せる「ベッカム・クラス」のクロスボールが要求されてきています。たとえばボールスピードがちょっと弱かっただけで、相手ディフェンスにカバーされてしまう。もっとも肝心なのはフィニッシュでしょう。ゴール前の密集地帯はレフェリーの目からも死角となりやすい。ユニフォームも引っ張られます。だけどビエリ(イタリア)にせよロナウド(ブラジル)にせよ、それでもゴールを決められる選手を「ストライカー」と呼ぶんです。ゴールの85%がペナルティエリア内から放たれたシュートなんですから、そういう強さがないと、世界で点なんか取れません。ただ、4-0のワンサイドゲームになってから華麗な3人抜きでシュートを入れても、僕は評価しません。0-1で負けているときに同じプレーができる精神的余裕と視野の広さ、そういうゴールこそが素晴らしいとおもってますから。タイトななかでゴールを目指せる精度の高い選手を育てること。これは日本サッカー全体の課題でもあります。

– ニュージーランド戦のテーマは何でしょうか。

彼らのフィジカルの強さは世界クラスです。彼らと同じ土俵で戦ったら勝ち目がありません。幸い僕らにはそれをかわすだけの技術力があるので、そういう戦い方で挑みたいですね。確かにフレンドリーマッチにすぎませんが、勝敗にこだわりながら、彼らのパワープレーの怖さをぜひ知ってほしいと思います。怖さを感じる試合、もしくは、「自分たちのスタイルでも勝てるんだ」という自信をもてる試合を数多く経験することで、「じゃあ、サビオラのいるアルゼンチンとやったらどうなるんだろう?」って夢が生まれてくるんです。こうした経験を繰り返しながら世界基準に近づいていけば、彼らのドイツへの扉も必然的に開かれると思います。僕は、そのためのアテネだと思ってますから。

– 4バックのジーコ代表とは違って、五輪代表は3バックシステムを採用してますが。

後ろ4枚でやったときに、センターバックの2枚が勝敗を決める大事なポジションです。ところが、Jリーグでこのポジションをやってる選手は、ほとんどベテランか外国人なんです。アジア大会の直前にやった磐田との強化試合でも4バックを試してみたんですが、結果は0-7ですよ(笑)。そこでアジア大会では3バックに組み替えて、ロングフィードの精度に優れた選手を使いました。

– イラク戦争やSARSの影響で、今春開催予定だったワールドユースが11月に、五輪の最終予選も来年の3月に延期となりました。

春のワールドユースで世界に挑戦する気持ちが強くなったところで、8月に予定されていた最終予選に合流させようと思っていたんですけどね。そこでまず、五輪代表で何人かのユース選手を鍛え、彼らを軸にした秋のワールドユース組から、最終的に何人かを五輪へ引き上げたいと思ってます。でも、今は幸せですよ。いつも頂上を見ながら仕事ができる時代なんですから。昔は頂上がどこにあって、どのルートを使って上がればいいのかもわかりませんでした。上へ登れば登るほど空気は薄く、風は強くなり、高山病にもかかる。FIFAの加盟国数は国連の加盟国数よりも多い。それが世界の山です。でもそこから下山してクラブに戻った選手は、サッカーを通して大きな「人間力」を身につけています。だから僕は、どうしてもこのチームの選手たちに、世界の山へ登る経験を積ませてあげたいんです。

日本の五輪出場は当然、という空気が蔓延しているが、実はアテネへの道は想像以上に険しいものがある。アジアに与えられた出場切符はわずか3枚。最大で5枚あったW杯よりも少ないからだ。最終予選がスタートする来年の3月まで、世界の頂上をしる男の挑戦は続く。

2003年5月27日(取材・文/李 春成) 週刊 SPA! 5月27日号

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