2014年7月25日
ワールドカップはドイツが4回目のチャンピオンとなった。前回の優勝は24年前のイタリア大会。その時の決勝も同じアルゼンチンで、スタジアムはローマのオリンピコ、現地でこの試合も観戦している。そして、2014ブラジル大会もマラカナンで観戦したが24年前と比較すると、世界は変わった、日本も変わった、自分も変わったと実感する。プレミアリーグ開幕に向けてアーセナルがユニホームを刷新した。プーマでの久しぶりのタイトル奪取を期待している。写真がそのユニホーム。
2014年7月23日
JFL後期開幕。アスルクラロ沼津と岡山ネクストの試合を愛鷹運動公園競技場で視察した。2300人の観客で盛り上がりを見せてくれた。運営も少しづつ軌道に乗ってきている、やはり確実に成長していくことでしか成功はないのだと感じている。チアリーダーの子ども達の演技も素晴らしい。人材育成こそ地域の未来への投資だと思います。やはりスポーツは楽しい。写真は入場での一枚。
2014年7月22日
抜群の安定感でドイツが第20回ワールドカップのチャンピオンとなった。マラカナンスタジアムは素晴らしい雰囲気で延長の結末を見守った。ドイツは予選から交代選手が良い仕事をして勝利に貢献してきた。良い準備が素晴らしい結果に繋がったのだと思います。写真は優勝セレモニーでの一枚。
2014年7月14日
首都ブラジリアのナシオナルスタジアムが三位決定戦の舞台。一体感、結束力、集中力、モチベーションが勝敗を分ける。肉体的疲労をどう乗り越えていけるのか?準々決勝まででベスト4のチームは5試合で4失点以下、ワールドカップではやはり守備の安定がベースに必要だとデータが示している。7万人を超えるキャパシティがある、首都ブラジリアのナシオナルスタジアムがどんな結末になるのか想像ができないが、感激、感動、そして感謝の気持ちで溢れることを祈りたい。ナシオナルスタジアムでの一枚。
2014年7月13日
計画都市であるブラジリアは、国連ビルの設計者でもあるオスカー・ニーマイヤーにより建設された。ドン・ボスコ聖堂はテレビ塔の南の住宅地にある。ブルーのグラデーションのステンドグラスが作り出す空間は、海底に沈んだように神秘的。重さ2700キロの水晶のシャンデリアも美しい。ナシオナル競技場は7万人を超えるキャパシティがあるが街の景観にマッチしたイメージで作られている。ブラジルの登場でまったく予想ができない3位決定戦となった。
2014年7月12日
3位決定戦、ブラジルとオランダの中継でブラジリアに移動しました。1960年4月、ブラジルの首都はリオ・デ・ジャネイロからブラジリアに移され、世界に類を見ない 過去をもたない首都が誕生した。1987年にはユネスコの世界遺産に登録されている。ブラジリアを上空からみると、ジェット機のような形をしている。写真はテレビ塔からの一枚。ここまで4試合連続で延長戦の中継となり充実感とワールドカップの厳しさを感じている。普段簡単にできるプレーができない世界がここにはある。歴代の優勝国、今大会のベスト4は全て自国の監督であるが、こんなところに未来へのヒントがありそうです。
2014年7月10日
サンパウロに滞在中。オランダとアルゼンチンの準決勝の解説で訪れたパラグアイの英雄チラベルトと再会した。チラベルトとは何度も会ってはいるが、存在感はさすがに凄い。現在はアルゼンチンのブエノスアイレスに在住である。懐かしい知人の話題で盛り上がった。同じホテルに滞在するということでロビーでの一枚。オランダとアルゼンチンの準決勝の後は、三位決定戦が最後の中継となる。ブラジルの相手がどちらか?ブラジリアでの試合も楽しみです。
2014年7月9日
サンパウロに入りました。コリンチャンスのホームスタジアム、パカエンブーを視察。パカエンブーには、サッカー博物館も併設されている。サンパウロはブラジル最大の都市、ブラジル国民総生産の50%を生み出し、まさにブラジル経済の中心として機能している。リベルダージ地区を歩くと漢字の看板が目につく、赤い鳥居が立っているのには驚く。日本人移民の皆さんもさまざまな苦難を乗り越えてブラジルに定着したのだと感じる。写真はパカエンブーでの一枚。
2014年7月8日
サルバドールの準々決勝、オランダとコスタリカの試合の中継を担当。FIFAの仕事で会場の担当で訪れていた宮本恒靖さんと撮った写真が今日の一枚。帰国したらまた、ゆっくり話そうと言う事になった。分析、準備などマネージメントの深い話になりそうである。彼は97年U20ワールドユースで私が監督の時のキャプテン。02ワールドカップでも活躍してくれた。準決勝はサンパウロでオランダとアルゼンチンの試合を担当いたします。
2014年7月7日