【§1. 地域に開かれた大学を目指して】

【§1. 地域に開かれた大学を目指して】

◎世田谷での完結で、学生たちの負担も軽減

山本:大澤先生、今回はよろしくお願い致します。

大澤:昌邦と話をしていくと、脱線して色々なところに話がそれることもあると思うけど、その辺はうまく舵取りしてください。

山本:はい。それにしても、世田谷という東京の中心で、これだけの敷地、活気のあるキャンパスはすばらしいですね。ここで大学生活を送っている学生たちは、地域にもエネルギーを与えていると思うんですよね。街も、若い人たちがいないと、元気になっていかないと思うので、そうした意味では、良い関係ができていると言えるのではないでしょうか?

大澤:間違いないね。最近の受験動向として、東京を目指す高校生にとっては、東京23区に本部がある大学というのが、好まれる傾向にあるようです。

山本:15年くらい前でしょうか、一時期、郊外へと移転する大学が多かったと思いますが。都心に戻ってきているという感じなのでしょうか?

大澤:郊外の広い土地を買って、そこへキャンパスを移転した名門大学などもありますが、そうした大学も、戻ってきています。国士舘大学も、1、2年は鶴川キャンパス(現在は町田キャンパスに名称変更)、3、4年がこの世田谷というのが昔からのやり方でした。でも、前理事長の先見の明があったんでしょうか、2008年から政経学部、文学部、法学部、経営学部、理工学部の5つの学部は、この世田谷だけで4年間を完結できるようになりました。

山本:そうなんですか。僕は政経学部の出身ですけど、2年生までは鶴川で、練習は楽だったんですけど、3、4年は世田谷だったので、通うのが大変でしたね。ただ、一般の学生はここで4年間完結だと、引っ越さなくていいというのは大きいですよね。

大澤:それは、とっても楽。細かいことだけども、寮に入れる学生はほんの一部です。キャンパスの近くに住まいを借りている学生が多い中で、移動があると交通費も馬鹿にならないですからね。ここで4年間完結することになってからは、学生たちはものすごく喜んでいます。昨年末には国士舘100周年記念事業の一環として「メイプルセンチュリーホール」という複合施設を竣工しました。この施設は、温水プールやフィットネスジムといった体育施設とラウンジや理・美容といったコミュニケーション施設を融合した施設で、コンセプトは「学生・生徒の心と体の健康」なんです。また、この施設は地域の皆様に開放していくことで決まっています。

山本:地域への還元と言うことですね。

◎学生を育ててくださる街だからこそ、地域に還元したい。

大澤:学生がいっぱいお世話になっている。それで4年間ここで生活している。だから、学校の頭脳や本学でなければ提供できないもの、たとえば施設等々については、できるだけ開放していこう、と。このキャンパスの中での最大の開放は、おそらく気がつかないかと思うけども、驚くことがあります。それは、34号館というのが梅ヶ丘の駅から一番近い所にあるんですが。

山本:あの一番新しい校舎ですか?

大澤:そう。あれを建てたときに、校内を歩いてきて、いくつかの出口を通ってくると、世田谷区役所の前まで出てくることができるようにしたんです。そうすると、普通の道を歩くよりも、6分近く、時間を短縮できます。つまり、キャンパスの中を通路として使ってもらうということなんです。

山本:大学の敷地を通ることが、最短距離でまっすぐ梅ヶ丘駅から世田谷区役所までの動線として使えるんですね。

大澤:しかも、そのコースの中には、5箇所のラウンジや食堂があります。子どもを連れてここの学食で、ボリュームのある食事をしていく人たちもいます。これは目立たないけど、地域の人はものすごく喜んでくれています。

山本:そうですね。大学の敷地の中を通れないと、この広大な敷地を相当遠回りしないといけないですからね。しかも、車も来ないから、安全に歩くことができる。更に途中でコーヒーも飲めますね。

大澤:そう、安全だよね。実は、大学と高校との間にあった道路も、今は車が下を通るようになっているんですよね。

山本:さっき見ましたが、多くの人がジョギングしてました。

大澤:あそこは、国士舘大学が区に掛け合って、アンダーパスにしてもらったんですよ。費用は、こちらも負担するということで。一般にも開放することはもちろんですが、学生たちが安全に行き来できるようになっています。それともう一つ。このキャンパスには、塀がないんですよ、一周しても。これをして、開かれた大学といっているんですよ(笑)。昔は、2mくらいのブロック塀で囲っていて、人は絶対に入れない。

山本:僕が学生の頃はそうでした。入り口で学生証を見せないと入れなかったですね。

大澤:そういうのはやめようと。全部取り払って、地域の人にどうぞ、と。お昼時、本学の生涯学習センターの講座を受講している方々や小さな子どもを連れた地域の方々も食事にくるんですよ。

山本:そういえば、大学の敷地に、樹木が多いですよね。世田谷区役所のそれと一体になって雰囲気がすごく良いですよね。

大澤:そこに「建学の森」という、ちょっとした庭があるんだけど、ベンチを置いているんだよね。日陰もあるので、親子連れがいくつかグループで来て遊んでいく。国士舘大学というと、かつてはやんちゃで右翼がかった、そういう校風で、そうした教育方針の学校であろうという間違った理解や評価を受けてきて、それをなかなか払拭することができなかった。こうしたことは実践していかなければ駄目なんだということで、今一番力を入れていることが学校を開放するということなんです。

◎もう一つの目標:女子学生が集まる校風作り

大澤:それと力を入れているのは、女子学生が多く集まる学風にしようというものです。今、3割ほどになっていますが、将来的には4割にしたいと思っています。クラブ活動も女子種目を応援しているんです。国士舘大学に女子を入れ始めた頃は、色々な人が国士舘になんで女子を入れるんだ、男子校で行くべきだと言って、創立者に直訴したなんてこともありました。そのときに創立者が言ったのは、「君たちは誰から生まれてきたと思っているんだ。君たちは立派なお母さんから生まれてきたから、こうやって立派な学生として頑張っているんだ。その女子を、否定してはいけない」といって、先生方や学生を諭したらしいんだよね。それから女子を入れるようになってきた。

山本:そんな経緯があったんですね。

大澤:でも、女子も最近どんどん増えてきているから、今だいたい3割で、更に来て欲しい。女子のスポーツでは、シンクロナイズドスイミングに注目しているんだ。

山本:有名ですね。メイプルセンチュリーホールにあるのは、そのためのプールですか?

大澤:そのための水深3mのプールです。

山本:ここにも写真がありますけど、シンクロのメダリストはオリンピックや世界選手権など何人も輩出してますよね。

大澤:それから、剣道、柔道。国士舘における武道の位置づけというのは、サッカーが強い、弱いというのとは、意味合いが全然違うんです。本学創設者・柴田徳次郎から繋がっている思いが、そこにはあるからね。それは何とかしないといけない。だから、男子だけじゃなく、最近は女子にも力を入れ始めている。

山本:体操は小さいときからやっていますからね。

大澤:これまで、1部でビリの方でやっていたのが、今年全日本で3位になっちゃって。クラブチームもひしめく中、大学で負けたのは日体大だけ。やっぱり指導者なんだよ。昌邦が戻ってきてくれたら、サッカー部はすごいことになるんだろうけどね。

山本:(笑)

◎大学経営においてスポーツが果たす役割

山本:なるほど。スポーツの話が出てきましたので、ここから話題を変えていきたいと思います。これまで私のホームページでは、ジュニア世代、ユース世代の育成、バックアップについて、関連する方からお話を伺ってきました。大澤先生には是非、大学にとってのスポーツのあり方、役割についてのお考えをお聞かせいただきたいのですが。

大澤:大学にとってのスポーツ活動には、2つの側面があります。一つは20歳前後の若者たちの育成に関するもの。それは、どう教えればどういう結果になるという技術論の話です。もう一つは、大学の経営戦略の一つとしてのスポーツ活動というものです。理事長という立場からすると、後者のスタンスが重要になってきます。

山本:大学の経営とスポーツへのサポートというのは、やはり密接な繫がりがあるのでしょうか?

大澤:そうですね。スポーツ活動というのは、それが活発になると、大学、大学院を併せて15,000人からの学生たちが一つのスポーツ実績によって、活性化していく。そして、それが母校への誇り、母校への帰属意識の向上にも繋がっていくんですよね。ただ残念なのは、今の学生を見てきて、ちょっと厳しい言い方かもしれないけど、昔に比べて母校愛が薄れているという感じがするんですよね。

山本:それは、どうなんですかね。どこの学校も一緒なんでしょうけど、母校愛が薄れてきているというのは。

大澤:どこも一緒なんだけど、外に向けて一番母校の自慢できるもの、セールスできるもの、それは専門家の調査結果でも出ているんだけど、運動部、スポーツなんだよね。

山本:そうなんですか。

大澤:それがやっぱり一番手っ取り早い。

山本:色々な大学が下降した時期がありましたけど、どこも運動で盛り返してきたといったのがありますよね。

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