【§3. 常に変化を続ける国士舘大学の姿】

【§3. 常に変化を続ける国士舘大学の姿】

◎地域とともに生きることが、学生も育てる

大澤:自己満足かもしれないけど、国士舘の何かを発信できる、母校への帰属意識を醸成できる何かにしていきたい、という想いを僕は持っています。言葉じゃ駄目なんだよ。だから、まず入れ物を一つ造って。

山本:よくよく考えてみると、大学で各運動部はこうした施設を持って、自分たちだけしか使えないというのはよくありますけど、一般の何万人の学生がこうして自由に使える施設があるというのは聞いたことがないですよね。自分の体調とか、能力によって、好きな時間に来て、好きなサイクルの中で、健康的に豊かに生きるためのツールとしてそれがあるというのは、まさしく学校に回帰させる方向性としてはすばらしいと思いますね。

大澤:これはね、かなり勇気のいることだったんだよね。色々な批判もあったようだし。ただね、僕の考えというのは、今までの学校じゃない学校、そして学問より、まずは4年間頑張り通せる強い心。それを育て上げるのが、我々の使命だと思っているから。ただ、授業料をもらって、4年で単位を計算してというだけじゃあ、世のため、人のためになるような逸材を送り出すことはできない。頭だけなら、別の大学に任せておけば良いし、勝てない部分があるかもしれない。でも、世の中でためになる人たちを多く育てるということでは、十分にそうした大学と競うことは可能だ。その下地は、この雰囲気を変えないと駄目なんだよ。

山本:これは、頭を良くするということよりも、豊かな心を育てる。

大澤:そうだよね。

山本:要するに、学問としても勉強はしなさい。だけど、体も動かすことで、より心が豊かに、ポジティブに前向きに、世の中のためにというふうになっていく。近隣に住む様々な年代の人たちの姿を見ることを通して、自分がこれで何ができるんだろうと感じ取ることができる場になる。それに自分の体を鍛えて、脳にもよい刺激になる。学問で頭を良くするというレベルだけじゃなくて、心を強くする。心を育てる場として、これが機能していくのではと僕は今思いましたね。

大澤:近隣の方たちからも見られている。そうすることで、学生の気持ちが変わってくれることを願っているんです。そこだけは、我々大学内の人間にはどうしようもない部分なので。それを誘導するために、我々はどう環境整備するかなんだよね。その環境の中で、学生一人ひとりに自ら体得してもらいたい。

山本:近隣に住んでいる年齢の上の方が、自分の孫をしつけるというような感覚で、食堂でマナーであったり振る舞いであったりを教えてくれるようになると本物だと、僕は思うんですよ。学生は学生で一生懸命やっているんでしょうけど、極端な話、ずっと過保護に育ってきた子どもたちが、何も教わらずに18歳で大学に入ってきて、社会のルールが分からない子もいるでしょう。最初は言ってもらえないと思うんだけど、密着したつきあいの中で生まれてきた信頼関係のようなものから、孫のような大学1年生に対して言ってもらえるようになったらすごいんじゃないかなと思います。そういう種まきができる環境が、キャンパス全体に広がっていくとおもしろいですね。

大澤:施設の中には、女子職員が薦めるボリュームのあるメニューを提供するファーストフードやおいしいコーヒーが飲めるカフェも入るんだよね。それと、ネイルサロン。これは学内でも大きく意見が分かれたね。今の時代、女の子だけじゃなくて、男の子も名刺を出すときに、手入れされた指先でやった方が、どれほど効果があるか分からない。これからの就活では、男子にもそれくらいの神経を使って欲しいね。今までの国士舘のイメージにはない試みだと思うし、それくらいのゆとりも必要じゃないかと思っている。

山本:外でやるより安くできるんですよね?

大澤:もちろん。こうしたことをやること自体が、国士舘への間違ったイメージ、あそこはバンカラで、汗臭い学校だというところを払拭するための演出として必要なところなんだよ。今度、利用してみてよ。

山本:(笑)

◎守られる存在から守る存在へ。それが国士舘の使命

大澤:新校舎にあるスカイラウンジからは、東京タワーは勿論、スカイツリーも見える。ラウンジのデザインはちょっと気取って、山本寛斎さんにお願いしたんだよ。ここで口説いたんだけどね。さっき話をしたけど、世田谷には5つの学部がある。町田に行くと「21世紀アジア学部」というのがある。多摩に行くと「体育学部」。その中に、「子どもスポーツ」という学科がある。

山本:そうでしたね。

大澤:体育があって、武道があって、子どもスポーツがあって、スポーツ医科学。東京マラソンでスポーツ医科学科の学生は活躍しているんだよ。何人か組になって、AED搭載の自転車で伴走するようにして大会運営をサポートしてるんだよ。救急車到着前の敏速な対応、まさに東京マラソンの陰の協力者なんだよ。

山本:消防関係に進む人が多いですよね。救急救命士になって、この前の震災でも命の尊さが言われましたけど、そういう現場に即した人材というのがすごく求められていますね。

大澤:一つ学校のPRを、僕もうさっきから始めているけどね。(笑) 中学校から大学まで含めて、一昨年の3.11以降、国士舘を救急医療と防災の拠点にしたいという構想があって、ここは世田谷区の避難場所になっているんですよ。このキャンパス全部が、町田も。

山本:そうなんですか。それじゃあ、備品とか、全部そろえているんですか?

大澤:食料も、簡易トイレも全部揃えている。

山本:じゃあ、近隣の世田谷区民は安心だ。

大澤:3.11の時も、帰れない人に開放し、一泊してもらったんですよ。何百人に朝食も手配しました。それで僕は、目が覚めたんだけど、うちの学生は守ってもらうんじゃない。うちの学生は誰かに守ってもらうことはやめよう。学生一人ひとりが防災に対するリーダーとしての知識を身につけて、AEDの救急救命の知識も含めてね、そういう付加価値を学生全員に持たせたい。そして、この世田谷近辺で何かがあったときに、うちの学生が全部病院への搬送前の手立てをする。今、それをキャッチフレーズに、各学部共通の総合科目の中に、「防災救急救命論」というのを入れている。

山本:そうなんですか。

大澤:もちろん、希望者だけどね。これがどんどん増えてきている。卒業した後だって、企業に行って役に立つ。地方に帰っても、そういうことをやる人はそういない。AEDだって、設置されている場所は、誰だって分かっている。街角にもたくさんあるからね。でも、あれを一回広げて触る経験の有無によって、使えるかどうかが違ってくる。あれ、使い方簡単なんだよ。そういう予備知識を持った者がね、ここにいたら、何かあった時に、電車が動かなくて帰れないなんてことになっても、うちの学生がリーダーとなって区民を守る。学生が守ってもらうんじゃないんだよ。その全く逆。それが、国士舘の使命ということでね、今、学内で謳っているんだよ。

山本:これは結構、大事な話ですね。

大澤:僕はこれを一番強調したい。

山本:命が一番大事なものですからね。あと、「21世紀アジア学部」の話ですが、明らかにアジアがこれからの時代、中心になっていきますよね。70億の内の40億が、アジアにいるわけですからね。アジアの人たちが、経済的には世界をリードしていく中で、そんなアジアの人たちとどう経済的、政治的に、スポーツとして繋がっていくのかが重要になってくると思うんですよね。サッカーで言うと、日本が何でここまで強くなったのか。それが注目されていて、輸出産業になりつつあるんですよ。それを学びに来てもらって、こちらからも教えに行く。そうした人的交流を作っていけると、「21世紀アジア学部」の意義というのが、もっと大きな物へとなっていくと思うんです。学部ができたのは、いつでしたっけ?

大澤:平成14年4月に開設し、昨年10周年を迎えました。

山本:アジアが中心となる時代が来ることを見越して、先んじてこうした学部をスタートさせている。これが世間にもっと浸透していくと、楽しいのかなと僕は思っているんですが。

大澤:アジアで交流できる学校を増やしていきたいと思っているんだよね。21世紀アジア学部の学生は、4年の間には必ず、長期間、研修で海外に行くんだよね。でも、運動部が困るんだよね。一番大事なときに、研修で行くって言われたら、指導者も駄目とは言えないんだよ。

山本:確かに。

大澤:まあ、そういう事情はどこの大学でも同じなんだよね。

山本:そこを遣り繰りして、苦労して、それでもやりたいというところで、逞しくなっていくと思います。やりながらそうしたことを改善していくというのが、大切ですよね。僕らの時になかった、「21世紀アジア学部」の存在を見ていると、大学が明らかに成長しているし、進化していると感じます。何をもって成功というかは分かりませんけど、間違いなく成長し続けること自体が成功だと言えると思うんですよね。成長していけば、遅れていかないわけで、現状に満足した瞬間に、大学であっても難しくなってしまうんでしょうけど。僕がいた頃になかったもの、救急救命士もここ数年ですよね。心とか命とか、我々が生きていく上で大事なものを、震災以降でも感じさせてもらいましたし。僕はこうしたところをすごく楽しみにしているんです。

大澤:僕なりに考えていることは、将来的に本学を地域にどう還元できるのか。地域に還元する学校。それを目指してこれからも頑張ってやっていこうと思っています。

山本:大澤先生、貴重なお話をありがとうございました。

以上

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